【矢野顕子グループ】

fk_akk2004-07-25

独創的な世界を持つ女性シンガー・ソング・ライターが
息の合った凄腕メンバーとトリオで待望の再登場!
●生まれついてのインプロバイザー=即興詩人。子供の頃、外出から帰るとピアノに直行し、それまでの出来事を弾き語りで母親に聞かせたという。そこにジャズを呼び込み、作詞作曲のドアを開け、天才肌を純粋培養。デビューした時から既に、矢野顕子は他の誰ひとりとダブらなかった。にもかかわらず、ピアノさえあるところなら山奥にも飛んでいく
「出前コンサート」を実施。一方でパット・メセニーチーフタンズと手を組み、利発でシュールな歌とピアノに磨きをかけた。今度が2度目の出演となるこのトリオも、音楽最優先の冒険を続ける矢野には欠かすことのできない、大切なホット・ハッチのひとつだ。ベースのアンソニー・ジャクソンとドラムスのクリフ・アーモンドは、揺るぎないファースト・コールの指定席を持つ各楽器のオーソリティ。それが矢野をサポートするというより、音楽を共有できる喜びから、トリオの活動はもう8年になる。ブルーノート東京で公演するのは、1年ぶり2度目。

7/25
2nd Show 
1. 電話線
2. 湖のふもとでねこと暮らしている
3. 雷が鳴る前に
4. ニットキャップマン
5. さようなら
6. Nobuko(新曲)
7. ほんとだね。
8. すばらしい日々
9. GREENFIELDS アンコール
1. ばらの花(ピアノ・ソロ)
2. ちいさい秋みつけた

なかなか終らない日勤を終えて急いで表参道へ
バス→松戸駅表参道駅
15時の整理番号配布時間開始にはとうてい間に合わず
汗だくで辿り着けば長蛇の列
それでもギリギリ二桁を取得
整理番号をもらったのが16時過ぎ
急いでスタジオへ
ちょっと遅刻、しかも遅刻の印を押されてしまった
気を取り直して、一汗かいて本日の連れと待ち合わせ
食事はブルーノートで取りたかったので青山を散歩
で、仮店舗で営業中の紀伊国屋
いつきてもここのスーパーは面白い
そんなこんなで時間を潰し、ブルーノート
で、ついた席は以前当日券で入ってストゥールか椅子席かで選択をした
端っこの席の隣の席
その席はついたカップルが尽く移動する魔の席であった
完売で当日券を求めた人もお断りしていた様子の回だったのに
そこの席は空いたまま終演
そこまで嫌う席かと思うが、私は座高を思いっきり伸ばし、
仕舞には中立ち状態での観演も憚ることなくできかなり満足
矢野顕子の連れも楽しんでくれたようで良かった
やはり知っている奥田民生楽曲が良かったとのこと
終演後ちょっとゆっくりして外へ出てみれば
クリフが道端で取り囲まれているではないですか
連れに頼んでもらってクリフと写真を撮ってしまった
なんて、良い奴なんだ
2人とも
楽しい夜だった

*1:1955年2月13日、東京生まれ。青森へ転居した3歳の頃からピアノを学び、小・中学校期を同地で過ごす。東京の青山学院高等部に入学すると、軽音楽部で演奏をスタート。東京都内のクラブで弾き語りのアルバイトを始めたのをきっかけに学校を中退し、プロの道に進んだ。'74年に自身のバンドで初シングルの「ある日」を発表し、細野晴臣鈴木茂松任谷正隆らの“キャラメルママ”と活動。'76年のファースト・アルバム『JAPANESE GIRL』(徳間ジャパン)で、「天才少女現る」と大きな反響を巻き起こした。そこから日本のニュー・ミュージック・シーンに入り込み、'78年に自らプロデュースした『ト・キ・メ・キ』(徳間ジャパン)を発表。それに前後して渡辺香津美の“KYLYN BAND”や“イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)”に参加。“YMO”のワールド・ツアーにも同行した。'81年、カネボウのCFソング「春咲小紅」のスマッシュ・ヒットを追い風にコンサート活動を頻繁化。ピアノがあればどこへでも飛んでいく「出前コンサート」を'82年から始めたほか、糸井重里忌野清志郎らと親交を深め、天才的な資質を開花させていった。'88年から1年ほどコンサート活動を休んだ後、パット・メセニーチャーリー・ヘイデンとの『WELCOME BACK』(ミディ・レコード)をリリースし、'90年にニューヨークに転居。次のアルバム『LOVE LIFE』で再びパット・メセニーと共演するほか、ウィル・リーやナナ・バスコンセロスらと共演。ニューヨーク拠点の活動を軌道に乗せると、アルバム制作の一方でアイルランドのグループ“チーフタンズ”とコラボレイトするほか、'96年から日本のファンのための「さとがえるコンサート」を開始。アンソニー・ジャクソンとクリフ・アーモンドとの親密な交流を深めてきた。'98年以降も「出前コンサート」の再開、“チーフタンズ”日本公演への客演、アニメ映画『ホーホケキョとなりの山田くん』の音楽制作などマルチなアングルで大活躍。'02年になるとマンハッタンの“Joe's Pub”を舞台にした「Akiko's Piano Monthly」もスタート。昨年は、マンハッタン・トランスファーのジャニス・シーゲルをゲストに、独創的な音楽コンセプトを打ち出した。オリジナル・アルバムの最新作は2002年の『reverb』。昨秋発表になったベスト・アルバム『ピヤノアキコ〜the best of solo piano songs〜』(以上、注記のないアルバムはEpicレコードから)では、'92年以降のピアノ弾き語り曲と2曲の新録音のほか、デビュー当初の貴重なライブ・テイクが聴ける。ブルーノート東京に出演するのは、'03年8月以来1年ぶり2度目。オフィシャル・サイトは「http://www.akikoyano.com/

*2:エレクトリック・ベース奏者のアンソニー・ジャクソンは、1952年6月23日、ニューヨーク生まれ。'70年代初頭にニューヨークでセッション活動を始め、'75年からロバータ・フラックのサポート・バンドに参加。続いて、リー・リトナーやアル・ディメオラらのグループで活躍しスポットライトを浴びた。'80年代に入ると、ミシェル・カミロやデイブ・ウェックルらと、フュージョン・スタイルの“フレンチ・トースト”を結成。それに前後してスティーブ・カーンのグループに加わるなどして、エレクトリック・ベース界のファースト・コールの席に着いた。'96年に脳溢血で倒れたが、不屈の精神で第一線に復帰。ミシェル・ペトルチアーニ、ラルフ・マクドナルド、マイク・マイニエリらとの当店公演で、往時と変わらぬプレイを繰り広げてきた。6弦エレクトリック・ベースの第一人者としても知られる。来日するのは、'04年1月の当店公演(ジョン・トロペイ名義)以来半年ぶり

*3:ドラマーのクリフ・アーモンドは、ピアニストのミシェル・カミロのトリオで頭角を現し、カミロのレコーディングやツアーをサポートする一方、マンハッタン・トランスファージョン・トロペイの日本公演に同行。ストレートアヘッドなジャズからラテンやロックの分野で幅広く活躍してきたバーサタイルなトップ・ドラマー。カミロと矢野が全幅の信頼を寄せるのはもちろん、ジャクソンにとっても比類ないリズム・パートナーのひとり。来日するのは、'03年6月の当店公演(矢野グループ)以来1年ぶり