新国立劇場 (初台)

[新国立劇場]小劇場
【遊侠 沓掛時次郎】
シス・カンパニー公演 日本文学シアターVol.3[長谷川伸

72歳になる母と観劇
休憩なしの約100分
SISカンパニーの日本文学シアターの3作目は
なんと長谷川伸
瞼の母」や「一本刀土俵入」などは観たことあるれけど
「沓掛時次郎」は初めて
作中に出てきた「暗闇の丑松」は以前何かの舞台でも「名作」として語られていたけれど*1
映画も舞台も本も読んでいない
この「沓掛時次郎」も初なのだけれども
断片的になんだか知っているのは
相当浸透している作品なのだと思う
また隣に座った母は
私が笑わないところでたびたび反応していたので
知っている人はよりいっそう楽しめた芝居だったようだ
終演後の第一声が「たくさん詰め込んだね」だったので
様々なオマージュがちりばめられているに違いない
それらが拾えなかったのはなんとも残念
また、大衆演劇が未体験なので
旅回りの大衆演劇を楽しんでいたら
まただいぶ面白さが増したに違いないけれど
なかなか探して観に行こうとは思わないのが実情
近くでやっているところがあるかと思っていたら
北区十条にあると公演のパンフレットで知る
演出の(今回は俳優も)寺十さんは幼いころ何度か通ったとのこと
知らなかった
話は母が語ったとおりいろんなことがつめこめられていて
単純な入れ子方式化と思いきや
もう一つ大きな箱に入っていた
少し違和感のあった背景幕が最後に効いてくる
ある田舎町の神社の境内、夏の盛り
東京の家出してきた女子高生が
旅回りの長谷川團十郎一座という大衆劇団に転がり込んで始まり
一座が小屋をたたむその日に女子高生が東京へ帰ると決める前半は明るく展開し
暗点の後、数年経った寒い冬の後半が「暗闇の丑松」の如く暗い
というかやや記号的で臭い
一座にいた京大中退の役者は博打で身を立てる渡世人となり
芝居を張っていたいつかの町へしのぎで訪れ
旅館で番頭が薦めた商売女に興味を抱き酒のあてに頼んでみる
そこに現れたのが東京に帰ると決めた女子高生
彼女は春をひさぐ商売に身を落とし
東京の家へ少女を届けると約束した
芝居の客演としてきていたプロレタリア演劇出身の広岡が紐になっていた、、、、
最後は一座が芝居を張っていた神社の境内にて拳銃で一騎打ち
強大中退の男は黒いジャンバーにセカンドバック
プロレタリアの紐は麻生太郎のような中折れ帽に白いスカーフ
やくざという記号がここに集約しているように終わる
そしてここまでが一座の芝居という趣向で幕が引かれる
一座の短い挨拶が入り客出し
あの臭さはこれだったのかと納得してすっきりして帰る
今回が初舞台だという女子高生役の萩原みのりさんがとても素敵
ベテランばかりの中に「おひかえなすって」っと入ってくる初々しさがそのまま
彼女に対して芝居の中で「発育がいい」という台詞があったけれど
華奢なのに胸もあり腰がいい具会に張っていて
後半のワンピース姿がとても様になっている
京大中退の役者の段三を演じていた段田安則さん
姿がとてもこういう芝居向き
股旅のしつらえも様になっているし刀を掲げた決めのポーズも絵になる
京言葉の台詞もあたりまえだけれどもとても心地良い
劇団の客演として登場したプロレタリア芝居出身のベテラン役者を演じる予定だったのが浅野和之さん
残念なことに体調不良で代役に演出を勤めている寺十さんが
自分が演出していた芝居を自分でやるようになるとは
どんな気持ちだろうと思いながら
浅野さんだったらどうだったろうかと想像しながら観る
卑屈で冴えなく狡い感じが滲みでていて
なるほどなと楽しめた
意外だったのは戸田恵子さんで
シスカンパニーの舞台は初めてなのだと
一座の座長の年下の妻であり一座の若いのと浮気している設定
声が本当に素敵、そして出てくるだけでぱっと場が明るくなる
初めて舞台で戸田さんを見た感激を思い出す
ロビーでお見送りしてくれる舞台に出ていらして
一緒に写真を撮ってもらった記憶がよみがえる
なんだかすごくいい人だった
沓掛時次郎を演じながら
ランボー原口統三の『二十歳のエチュード』などを語ったりして
ギャップのようなでも文学を愛する人の貪欲さのような
愛が感じられて面白い芝居だった
開演前客席に座って母と
「今回は役者が体調不良で演出家が代わりに出るんだって」
「寺十、、、これでじつなしって読むの」
「なんで」
と会話していたら突然母が思い至り
「1つ2つ3つって10はつがつかないからつなしって読む」と
なるほどとんち系の苗字だった

*1:トム・プロジェクトの「あとは野となれ山となれ」だった